松下誠の投資探求

特別コラム1:「正直者がバカを見ない世界」

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私たちの日常では、「正直者がバカを見る」と言われる。この意味を辞書にひも解くと、「悪賢い者がずるく立ち回って得をするのに反し、正直な者はかえってひどい目にあう。世の中が乱れて、正しい事がなかなか通らないことをいう。正直者が損をする。」とあり、正しい事が通りにくくかえって損をしてしまう不条理な様子を例える言葉だ。この言葉は、「正直者もバカを見る」とすれば、「正しい事をすれば、必ず結果が出るわけではない」というように、より現実に即した言葉になる。

自然界の「淘汰」、「弱肉強食」という摂理にも見られるように、力のバランスは、ある部分で必ず働く。私たちの社会生活にも、様々な力があり、それは時として、人の持つ個の力だけではなく、お金、権力、組織や地位・立場、様々なものに起因する力であり、時に不条理を覚えることもある。しかし、これは不条理ではなく道理である。それこそが、現実に存在する力のバランスだからである。

投資の市場において、この関係は一変する。マーケットにおいて、力は別のものに変わる。それは、「リスク」だ。マーケットにおいては、私たちが社会生活の上で力と認識するものにほとんど意味はない。お金、権力、組織や地位・立場、筋力、知識・・・・・これらはマーケットにあっては無力だ。

古今東西、膨大な資金の力でマーケットを意のままに動かそうとする人や組織が繰り返し現れるが、最終的にはマーケットの前に屈することになる。資金力とて、ほんの少し優位に立てる程度の力でしかない。まして権力、地位・立場、筋力、知識などは何の意味も持たない。

例えば、非力で、資金量も決して潤沢ではない、経験も知識も浅い女性の投資家でも、自身の資金に対して十分な利益を上げることができる。つまり、この女性の投資家は、この瞬間、マーケットにおける力を持っていたのだ。一時的に莫大な利益を上げても、数年後に破綻するカリスマトレーダーや、ヘッジファンドよりも強い力を持っているといえる。この力とは、何だろうか?

マーケットにおける力とは、リスクに対峙する力、リスクをコントロールする力だ。投資家は、過大なリスクを取れば破綻し、リスクを避けてゼロにすれば何も手に入れられない。つまり、マーケットにおける力とは、「リスクのコントロール」だ。

リスクとは不確実性。不確実な事象を、限りなく確実な事象に変えることができれば、リスクは小さくなっていき、マーケットにおける力を持つ。不確実を確実に変えていくものがマーケットにおける力だ。不確実な事象を確実にするのは何か?様々なものが影響を及ぼし合って、不確実を確実に変えていく。知識、経験、覚悟、資金量、サイズ、あなたの不確実性を確実性に変えていくものは全て力なのだ。

マーケットにおいて、自分の力に正直な者はバカを見ることはない。自分の力に正直とは、自分のリスクを正しく真っ直ぐに評価し、受け容れることだ。

虚勢を張っても、謙虚なだけでも、欲しいものは手に入らない。あなたは、自分のリスクに正しく真っ直ぐに向き合い、受け容れる必要がある。この時、注意しなければならないのは、ただ本を読むとか、チャートを見続けるとか、過去検証を重ねることが正直ではないということだ。その作業の更に先に、自分のリスクを正しく真っ直ぐに見つめることが、マーケットにおける正直なのだ。いくら知識と経験を積んで、検証を重ねても、自分のリスクを正しく評価できなければ、それは正直とはいえない。

日本語で「マーケット=市場」のことを、時に「相場」と呼ぶ。この「相場」という言葉は、足利時代の末葉から使われるようになり、江戸時代には「相庭」とも書かれ、「商人が集まる庭」がその語源とも言われ、「相庭」が「相場」に転じたと考えられている。

「相場」を「相対する場」と考えるなら、私たちが相対しているのは、自分なのではないだろうか?自分というリスクはどれくらいなのか?私たちは、常に相場でそれに相対しているのだ。いつも自分を見つめる場が相場だからこそ、相場は奥が深いのだろう。

相場が自分に相対する場であるならば、決して正直者がバカを見ることはない。あなたというリスクに正しく真っ直ぐに対する場、それが相場なのだ。

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